私の中に生きるジーザス
2025.11.10
本日は、「十字架のほかに誇るものなし」と題し、ガラテヤの信徒への手紙6章14節を中心とした説教の要点について分かち合いたいと思います。
本日のアジェンダ
1
神の栄光と自己の減少
2
人には不可能、神には可能
3
誇るべき唯一のもの:十字架
4
十字架が示す「救いの道しるべ」
5
キリストと共に十字架につけられる
6
罪と死の法則からの解放
7
自分の十字架を負って従う
© The Arthur Hollands Show
1
本日はこのような流れで、十字架の意味、そしてキリストと共に生きることの深さについて、聖書の言葉を辿りながら確認してまいります。
01
神の栄光と自己の減少
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2
まず初めに、私たちの存在の目的について確認します。それは神の栄光が現されることです。
キリストは栄え、私は衰える
バプテスマのヨハネに倣う姿勢
神の栄光が啓示されるために
全ての働きは、イエスご自身が際立ち、神の栄光が現れるためにある
私は減少し、主が栄光を受ける
「私は小さくなり、あなたが大きくなる」という自己の減少
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3
私たちの務めや働きは、すべてイエス・キリストの栄光のためです。バプテスマのヨハネが「あの方は栄え、私は衰えなければならない」と言ったように、私たちが小さくなることで、主が大きくなられます。私たちの内でキリストが栄えるのです。
02
人には不可能、神には可能
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4
次に、「すべてを神の栄光のために」という生き方について見ていきます。
有限な人間と、無限の神
「食べるにも飲むにも、神の栄光のために」という言葉の深さ
人間にとって
「神の栄光のために」生きることは不可能に思える
有限な存在である私たち
神にとって
「人には不可能でも、神には可能である」
無限の神が有限な私たちに宿るとき、奇跡が起こる
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5
「何事をするにも神の栄光のために」という言葉は、私たち有限な人間には不可能に思えるかもしれません。しかし、聖書は「人には不可能でも、神には可能だ」と語ります。不可能だと感じる私たちが、その不可能なことを心に受け入れるとき、無限の神が私たちの中で働き、不可能を可能に変えてくださるのです。
03
誇るべき唯一のもの:十字架
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6
この説教の中心となる聖句、ガラテヤの信徒への手紙6章14節を確認します。
ガラテヤの信徒への手紙 6章14節
パウロが誇りとした、唯一のもの
しかし、わたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対して十字架につけられ、わたしも世に対して十字架につけられたのです。
—
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7
使徒パウロはここで力強く宣言します。「わたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」世は私に対し、私も世に対し、十字架につけられたのだ、と。これこそが私たちの信仰の核心です。
04
十字架が示す「救いの道しるべ」
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では、その十字架が具体的に何を示しているのか、その意味を深掘りします。
十字架が示すもの
絶望から希望へ、死からいのちへ
希望への道
絶望から希望への道が記されている
いのちの約束
死の中にあっても生きる「いのち」が約束されている
喜びへの転換
あなたの苦しみが、必ず喜びに変えられる扉
罪からの解放
私たちが罪の奴隷から解放される場所(出エジプト)
救いへの道しるべ
私たちの救いに至る唯一の道しるべ
神との一致
約束の地、神との一致に至る道
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十字架は、単なる苦しみの象徴ではありません。それは、絶望から希望への道しるべです。死の中のいのち、苦しみの喜びへの転換、そして罪の奴隷からの解放、すなわち「出エジプト」を示す場所なのです。これ以外に私たちが誇るべきものはありません。
05
キリストと共に十字架につけられる
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次に、パウロが語る「キリストと共に十字架につけられる」という概念について見ていきましょう。
古い自分は死に、キリストが生きる
ガラテヤ2章20節(意訳)のプロセス
1. キリストと共に
私の古い自己(罪を犯す自己)が、キリストと共に十字架につけられた
2. もはや我生きず
もはや、この私が生きているのではない
3. キリスト我が内に
神によってよみがえらされたイエス・キリストが、私のうちに生きておられる
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「私はキリストと共に十字架につけられました」とパウロは言います。これは、イエスだけが十字架にかかったのではなく、罪を犯す古い自分自身も、イエスと共に釘付けにされた、ということです。そして、もはや自分が生きているのではなく、復活したキリストが自分の内に生きておられる。これが、私たちが信仰によって生きるということです。
信仰によって入る「約束の地」
過去・現在・未来のすべてが、主によって贖われる
信仰による義
モーセはピスガの頂からカナンを見ましたが、入ることはできませんでした
しかし彼は「信仰によって」その地に入ったのです
私たちも同様に、信仰によってすでに神の国に入っている
福音の「負い目」
私たちの罪の代価は、イエスの体によってすべて支払われました
私たちは価なしに赦されたからこそ、この恵みの福音を語る「負い目」を負っているのです
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かつての信仰者たちがそうであったように、私たちもまた、信仰によってすでに神の国、約束の地に入っています。イエスが十字架で死なれた2000年前、私たちの罪の代価はすべて支払われました。この恵みをただで受けたからこそ、私たちはこの福音を宣べ伝えるという「負い目」を負っているのです。
06
罪と死の法則からの解放
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では、キリストが内に住まうとは、具体的にどのような状態なのでしょうか。ローマの信徒への手紙第8章から見ていきます。
いのちの御霊の法則(ローマ8章)
肉体を持ちながら、新しいいのちに生きる
いのちの御霊の法則
復活のイエスの霊
解放
私たちを解放する
罪と死の法則
アダムから受け継いだ肉体
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ローマの信徒への手紙第8章には「今や、キリスト・イエスにある者には、罪に定められることはない」とあります。なぜなら、「いのちの御霊の法則が、罪と死の法則から私たちを解放した」からです。私たちはアダムから受け継いだ、老いや死に向かう肉体を持っています。しかし、その内に復活のイエスを聖霊によって宿すとき、いのちの御霊の法則が、私たちを罪と死の法則から解放するのです。
死ぬことは益である
今が恵みの時、今が救いの日
私たちは、やがて死に、眠りに入ります
しかし、イエスが再び来られる時、私たちは完全な復活の体を与えられます
だからこそ、パウロは「生きるはキリスト、死ぬは益」と語ったのです
イエスは過去・現在・未来の神であり、私たちのすべてを統一される方です
このイエスを受け入れる「今」こそが、救いの時です
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15
この肉体が死ぬことを恐れる必要はありません。なぜなら、死ぬことは益だからです。私たちが眠りに入った後、主が再び来られる時、私たちはイエスと同じ完全な復活の体をいただくのです。この十字架の出来事は、おとぎ話ではありません。今、あなたを救うために存在しています。今こそが恵みの時、救いの日です。
07
自分の十字架を負って従う
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最後に、この十字架の福音を生きるということ、すなわち「自分の十字架を負う」ことについてお話しします。
自己否定と十字架
イエスに従う者の道
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。
— イエス・キリスト(マルコ 8:34 等)
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イエスは言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。」イエスの十字架と、私たちの十字架。それは、古い自分がイエスと共に死に、イエスによって復活させられる、その象徴としての十字架です。
いのちの逆説
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」
いのちを救おうとする者
自分の力で自分のいのちを保とうとする
結果として、永遠のいのちを失う
いのちを失う者
イエスと福音のために、迫害さえも恐れずいのちを差し出す
結果として、まことのいのちを見いだす
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この地上での旅路は、十字架を負う旅路です。イエスは「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者はそれを見いだす」と言われました。これは深い逆説です。今、世界中で迫害され、命を捨てているクリスチャンがいます。彼らは、肉体の命を奪われても、魂は奪えないことを知っているからです。
十字架による「赦し」の実践
赦せない自分もまた、十字架につけられる
かつて、ある韓国人の女性は日本人を赦せませんでした
しかし、彼女の父が日本の兵士に殺される際、「父よ、彼らをお赦しください」というイエスの祈りを心に抱き、兵士を赦して亡くなったことを知ります
彼女は、その父が復活の主と共に天におり、自分も再会できることを悟りました
その時、赦せなかった彼女自身の古い自己がキリストと共に十字架で死に、復活の主が彼女の内に生きていることを発見したのです
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最後に、赦しの実例をお話しします。ある韓国人女性は、父を殺した日本人を赦せませんでした。しかし、その父が「父よ、彼らをお赦しください」というイエスの祈りを抱いて殉教したと知った時、彼女は変わりました。赦せない自分自身がキリストと共に十字架につけられ、死に、復活したのだと気づいたのです。彼女の内に、赦しの主が生きておられました。
私たちも、この主イエス・キリストの十字架のほか、誇るものがありませんように。この十字架のほか誇るものなし。この恵みを深く心に刻み、日々歩んでまいりましょう。ハブ・ア・グッド・デイ。