「パラダイス」は、死を迎えた後にだけ待っている遠い場所なのだろうか。今回のFRIDAY NIGHTでアーサー・ホーランドが繰り返し語る答えは、はっきりしている。神が共におられるなら、パラダイスは今日、ここに始まっている。未来の約束を小さくするのではなく、その約束を先取りする神の臨在に、今日の私たちが招かれているということだ。

神が共にいる今日とパラダイスについて語るアーサー・ホーランド
メッセージの中心にある「神が共にいる今日」を語るアーサー・ホーランド。
十字架行進に参加した8人の写真を表示する動画内スライド
十字架行進に参加した8人の姿を紹介し、そこから起きた変化を語る場面で表示される動画内スライド。

神は教会の箱の中だけにおられない

十字架は、建物の中に神を閉じ込めるための記号ではない。アーサーは、ゴッホが描いた世界にも触れながら、神は教会の中だけにおられる方ではなく、箱の中に入れられる存在でもないと語る。神の息を受けた人間そのものが、神の臨在を受け取る器として造られている。

水面の上と下に広がる氷山を映した動画内スライド
見えている自分の奥にある心を見つめる、動画内の氷山スライド。

教会の中だけに神はいない。神は箱の中に入れられる存在じゃない。

ARTHUR HOLLANDS / 07:23

だから、礼拝の時間だけが神と出会う時間ではない。仕事の場、家庭、移動の途中、眠りにつく前にも、神は共におられる。パラダイスを遠くへ探しに行く前に、今日この場所で神の臨在に心を開くことが、最初の一歩になる。

見えている自分より、心の奥を主に明け渡す

メッセージの中で語られる氷山のたとえは、私たちの自己理解を揺さぶる。水面の上に見えている部分は、言葉、奉仕、態度、信仰者としての外側の姿だ。しかし水面下には、恐れ、怒り、自己防衛、赦せなさ、認められたい思いが隠れている。人は外側を見るが、イエスは心の内側を見る。

氷山のたとえで心の奥について語るアーサー・ホーランド
水面下に隠れた心の奥を主に差し出すことが、癒やしと変化の始まりになる。

この氷山の氷河の上のお前じゃない。水に沈んでいるお前なんだ。

ARTHUR HOLLANDS / 14:43

ローマ人への手紙8章が示すように、肉の思いは神に逆らう方向へ私たちを引っ張る。一方、御霊の思いは、いのちと平安へ導く。主の前で取り繕うのではなく、まだ見せたくない部分まで差し出すとき、恵みは水面下にも届いていく。

重荷を負ったまま、イエスのくびきを受ける

「疲れている者、重荷を負っている者、私のところに来なさい」というマタイ11章の招きは、頑張り切った人へのご褒美ではない。疲れたまま、重荷を抱えたまま来てよいという招きだ。アーサーは自身の首の痛みやレスリングの経験を振り返りながら、イエスのくびきは私たちを壊すためではなく、主と歩幅を合わせるためのものだと語る。

イエスのくびきと安息について語るアーサー・ホーランド
自分の力で人生を支配するのではなく、柔和でへりくだったイエスと歩む安息を語る。

すべて疲れている人、重荷を負っている人、私のところに来なさい。

マタイの福音書 11:28 / MESSAGE QUOTE

神は、私たちの自我を打ち砕くために苦しみを求めているのではない。自分だけで背負い、自分だけで正しさを証明しようとする歩みから、主と共に歩む歩みへ導いてくださる。柔和さとは弱さではなく、神に主導権を返した人の強さだ。

十字架の隣で、今日のパラダイスが開かれた

ルカの福音書23章で、イエスは十字架の隣にいた強盗に「あなたは今日、私と共にパラダイスにいます」と告げた。その人には、誇れる宗教的実績も、人生をやり直す時間もなかった。ただイエスに向き直り、助けを求めた。その瞬間、パラダイスは「いつか」ではなく「今日」の約束になった。

夕暮れの丘に立つ三本の十字架を映した動画挿入映像
十字架の隣の強盗への約束から、救いと神の臨在が今日に届くことを語る動画挿入映像。

まことにあなたに告げます。あなたは今日、私と共にパラダイスにいます。

ルカの福音書 23:43 / MESSAGE QUOTE

この「今日」は、死後の希望を否定する言葉ではない。むしろ、死を越える希望が今この瞬間にも私たちを支えるという宣言だ。イエスが共におられるなら、罪や後悔で閉ざされた場所にも、神の国の扉は開かれる。

聖書が語る三つのパラダイス

アーサーは、新約聖書で「パラダイス」という言葉が三回登場することに注目する。第一は、十字架の強盗に語られた今日の約束。第二は、パウロが第三の天に引き上げられ、言葉にできないものを聞いた体験。第三は、黙示録で勝利を得る者に約束された、神のパラダイスにある命の木だ。

創世記のエデンの園で始まった聖書の物語は、黙示録の新しいエデンへ向かう。そこでは神と小羊の臨在が十分で、神殿を必要としない。未来に完成するパラダイスの約束は、今日の私たちに「神の臨在こそがいのちだ」と教えている。

神が共にいるってことはパラダイスだよってことなんですよ。

ARTHUR HOLLANDS / 83:45

パラダイスを場所だけで考えると、神の臨在を見失う。神が共におられることそのものが、パラダイスの本質である。だから私たちは、神の臨在を未来へ先送りせず、今日の祈りと従順の中で味わい始めることができる。

ヤコブにも語られた「私はあなたと共にいる」

ヤコブは、兄を欺き、祝福を奪い、命を狙われながら逃げていた。立派な信仰者として整ってから神に会ったのではない。石を枕にして眠った旅の途中で、天と地を結ぶ梯子を見、主から「私はあなたと共にあり、あなたがどこへ行ってもあなたを守る。決してあなたを捨てない」と聞いた。

ウィリアム・ブレイクのヤコブの梯子を映した動画内スライド
逃げている途中のヤコブにも、神が共にいると約束された場面で実際に映るスライド。

見よ、私はあなたと共にあり、あなたがどこへ行ってもあなたを守り、決してあなたを捨てない。

創世記 28:15 / MESSAGE QUOTE

神は、私たちの失敗を見落としているのではない。むしろ心の奥を取り扱いながら、共に歩み、約束を成し遂げてくださる。パラダイスは、問題がすべて消えた場所ではない。問題のただ中で、神が見捨てず共におられることを知る場所だ。

明日ではなく、昨日でもなく、今日

メッセージの終わりに、アーサーは祈りへと招く。「今日、あなたは私と共にパラダイスにいる。イエス様があなたと共にいる。パラダイスがあなたの中にある」。これは感情を無理に盛り上げるための言葉ではない。御言葉に基づいて、神の臨在を受け取るための信仰の応答だ。

今日、赦せない人のために祈る。今日、隠していた心を主に告白する。今日、疲れたままイエスのもとへ行く。敵を愛し、赦すことも、まず主に赦された者として歩き始めることから生まれる。神が共におられる「今日」を、今日の一歩で受け取ろう。